単純な涙はむしろ感情や想像力の欠如かも

以前、『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』を読んで以降、中島岳志さんの名前を見ると気になってしまう。いつの間にか北大の助教授になった1歳年下の彼の活躍は同年代としてもすごく頼もしい。その彼が月一で毎日新聞夕刊に「中島岳志的アジア対談」という連載をしている。今月は昨日の夕刊だったのだけど、対談相手はドキュメンタリー監督で作家の森達也さん。「戦前の『右派』の可能性から」というテーマ。中島さんが取り上げたインド人独立運動家のR.B.ボースと森さんが『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』で取り上げたベトナムの王子、クォン・デをおかずにして「戦前の多様性に右傾化問題を解消する道がある」(中島)とその可能性について話をしていてなかなか面白い。その中にこんな行が。

単純な涙はむしろ感情や想像力の欠如かもしれない。

小泉前首相の特攻隊史料館での感動と靖国参拝を例えに話す中島さんの言葉に肯首。愛国心論議はもちろん、山の斜面に取り残された犬の救出劇に涙するテレビの前の人たちも。