ひとつの大きな区切りの日

 年度末です。今日31日で長かった学生生活を終えます。人一倍長い学生時代でした。周りが大学院生ばかりで、自分的には「普通だなぁ」と思っていた節もあるのですが、やはり長い学生時代ですよね。それを心身共に支えてくれた皆さんに心から感謝します。とりわけ、この年まで学生として支援し続けなくてはならなかった両親、家族には感謝してもしきれません。自分がやりたいことをする環境を作ってくれたことにも。僕がもし親になることがあって、ここまでできるか?と言われるとできないだろうなと正直思います。子どもを振り回しても好き勝手にやって生きていそうです(笑)。「子どもには子どもの人生があるように、僕には僕の人生がある」とか屁理屈を言いながら。

 大学院に入り立ての頃、とある先生から冗談で「研究者になるためには金がかかる。家は資産家じゃないとダメだぞ」と言われたことがあります。僕が博士課程まで行けたのだから、それは「正解」ではないですが、しかしその裏には両親や家族の大きく、強い支えがあったのは間違いありません。金銭的な面だけではなく、このことには強く強く感謝しなければいけません。本当にありがとうございます。

 先日の大学院の先生方や学友の皆さんがお祝いをしてくださった席で、一言話せと水を向けられて口にしたのは「就職できたのは運が良かったんです」ということでした。もちろん、自分なりにいろいろと試行錯誤しながら努力はしたつもりですし、いわゆる「普通の研究者への道」という王道から大きく逸れて、大仁田厚ばりの邪道をかなり早い時期から進むことに決意した結果が就職というものに結びついたのは事実ですが、しかし、大学の先生方や学友をはじめ、周りの多くのNGOや国際協力関係者の皆さんが「良い関係」をもって下さった結果であることは疑いようもありません。そしてそれが「運」を引き寄せてくれました。

 実は、一昨日の西日本新聞の「ひと」欄に掲載して頂いたのですが、そのなかにもあるように、「九州内外のさまざまなNGO、政府機関、地方自治体など、さまざまな人たちとの出会い」こそが紛れもない「宝物」なのです。それこそ、自分勝手な解釈で、思うがままに発言をし、行動をしてきた僕を理解してくれ、ともに活動をし、また応援してくださった結果、今の自分がいます。その意味で、NGOをやっていくなかで、出会い、言葉を交わし、議論をし、喧嘩をした皆さんには心から感謝するとともに、是非これからも同じように付き合って頂ければ嬉しいなと思います。

 そして大学やNGOから多少離れた場所で(もちろん何人かの人は同じ場所で)、友人として付き合ってくれたみんなにも感謝。ある意味主戦場の大学やNGOの外から、それらにいろんな意見をくれ、元来、客観的な視点(第2の自分)をもってはいるのですが、改めて離れた場所から今自分がやっていることを見て、考え、話すことができたのは、彼らのお陰です。これからもよろしく。

 最後の方になってしまったけれど、もちろん相棒にもありがとうを。何度も書くように、人の気持ちを斟酌しているつもりで、実はなかなかできていない自分勝手なところがある僕の相棒であることに感謝してます。僕が助けているつもりでも、かなりの部分、すごく助けられているのが事実です。ありがとう。これからもよろしく。

 今日1日、最後の最後までNGOで仕事をしてきます。僕らしいといえばその通りで、これが僕の生き方ですね。あとで「あれをしておけば良かったなぁ」ということが、ひとつでも減るように(なくなることはないでしょうが)仕事をしてきます。

 あ、最後に忘れてた。実家の愛犬じゅうべえ。君には年に数日だけど、心豊かにしてもらってるよ。ありがとう。そして何度も書きますが、じゅうべえも含めて、皆さん、これからもよろしくお願いします。