消極的な進路選択の結果に得た出会い

今月末締め切りの仕事が今さっきようやく終了しました。来年度の仕事なんですけど、まだ給料ももらっていないのにしなきゃいけないというのは、労働基準法やらなんやらには引っかからないんでしょうか(笑)。今の職場もようやく後任が決まりかかっていて、来月は引継期間なんですけど、これには一応給料出るんですけどねぇ。この1週間はほぼこれにかかり切り。来年も同じことをしなきゃいけないはずですが、たぶんその時は随分と楽にできることでしょう。それにしても慣れない仕事は辛い。

この週末から国立の二次試験が行われているようです。僕にとっては随分昔の話のような感じがします。センター試験を終えて、どうにも志望先に願書を出すわけにも行かず、さらに当初志望していた理系といっても、理科系科目が超苦手な僕は文転をし、「どうしよう」と思いながら、いくつかの限られた候補大学から選択して大学を受験。試験が終わった直後は、「浪人する!」と公言し、早速某○会の申込みを行い勉強することにしてました。この期間に提出した大の苦手だった物理のテストが、はじめてランキングに掲載されたりして、浪人生活は充実したスタートを切ったのです。けれど……

前期に「一応」受験した大学から合格通知が届いた途端、一気に気持ちが萎えてしまったのですよ。日和見主義というか、あまりの思い入れのなさに今ではあきれてしまうのですが、「仕方ないなぁ」と、あれよあれよという間に大学への入学へと舵を切っていました。なんという自分への甘さよ(笑)。ちなみに僕は大学をひとつしか受けませんでした(汗)

ただ今考えるとこの選択は間違っていなかったと断言できます。高校生時代の僕にはまったくといっていいほど門外漢であった世界に興味を持つようになりました。海外留学や大学院進学、NGOやNPO、市民活動・運動との出会いなんて考えられない世界に今関わっています。そしてその結果、新たな世界にまた入り込もうとしています。

そして何より、この選択によって出会ったさまざまな人たちの出会いに奇跡を感じます。大学時代の変な(笑)友人たちとの出会いから始まって、さらに変な(大笑)NGOやNPO関係者との出会いはまったくもって予想しえない出会いで非常に大切なものです。単に大学や仕事の付き合い以上に付き合ってきた彼らによって来年の僕の生活の形が生まれたことは間違いありません。そして僕の友人や大切な人もまた。

大学入学直後は、正直、望んでいなかった大学での生活に少し落ち込んでいました。けれども、今はこの選択が間違っていなかったとも思います。

今、まさに受験の真っ最中の方や、家族親戚友人知人にそうした方がいる皆さん、確かに受験で志望校に行くことが何よりも幸せなことである可能性が高いことは否定しません。けれど、そうでなくても将来省みたときに「良かった」と思えることがあるとも思います。どこの学校に行くか?よりもそこで何をするか?誰と出会うか?ということも同じくらい、いやそれ以上大切なことかもしれません。後悔しないように、受験を終えてくださいね。頑張ってください!!