パラレルワールドとともに〜伊藤たかみ『ロスト・ストーリー』

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これは自分の物語ではないのではないか?と思うことがある。
すごく理不尽で憤懣やるかたないことがあったときやすごく悲しいことがあったときとか。
逆にあまりに幸せでハッピーすぎてほっぺたをつねるなどという前時代的なことをしてしまうときとか。
自分にはもっと別の物語=人生があったのではないか?と思うことがある。

今から6年ほど前に、20周年記念&10年間封印公演として行われた第三舞台
ファントム・ペイン』を思い出す。その中にこんな件がある。

  あなたは愛する人と電車に乗っている。
  やがて愛する人のすむ駅に着き、愛する人はホームに降りる。
  あなたはついて行きたいと思う。すべてを捨ててついて行きたいと思う。
  そのとき、あなたが強く思ったとき、世界は分裂する。
  ホームに降りたあなたとホームに降りなかったあなたの世界に分裂する。
  それをパラレルワールドという。

  もちろんホームに降りなかったあなたはホームに降りたあなたの存在を知らない。
  ホームに降りなかったあなたは降りなかった自分を責める。
  けれど、もう一つの世界では、あなたはホームに降りている。
  もう一つの世界のあなたはホームにおり、愛する人に駆け寄る。
  そこから始まる別の物語をあなたは知らない。

  しかしあなたは想像することができる。

ファントム・ペイン
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鴻上 尚史
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5 封印にふさわしい
4 存在しないはずの痛みに苦しむ僕ら

選択しなかった物語、世界が目の前で繰り広げられることはない。
けれどもそれを「想像」し、思いをはせることができる。
では、自分でない、他人だったらそれはどうなのだろうか?
伊藤たかみの『ロスト・ストーリー』を読んでからずっと考えている。
相棒に勧められたこの本を、ようやく読み終えたばかりだけれど。

ロスト・ストーリー
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伊藤たかみ
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3 テーマ

芥川賞作家となった伊藤たかみの初期代表作であるこの長編はこんな話だ。

ある朝彼女は出て行った。自らの「失くした物語」をとり戻すために—。僕と兄のアニー、そしてナオミの三人暮らしに突如訪れた変化。「失われた物語」を取り戻すために迷い続ける、残された者の喪失と苦闘の日々を描き絶賛された、芥川賞作家による初長篇にして初期代表作。

読みながら、鴻上尚史のいう「パラレルワールド」という言葉がずっと頭にあった。
ナオミが「失くした物語」は彼女の選択の結果だったのか、はたまた彼女とはいささかも関係のない
周りの世界が生み出した結果だったのだろうか?僕とアニーとナオミが探し続ける物語。
解説にも引用されているから、不承不承の引用なのだけれど、冒頭にこんな件がある。

  もしも全て解決する場所があるとして、貴方はそこに行きますか?
  もしもここが貴方の物語でないとして、貴方は新しい物語を探しに出かけますか?
  それとも、ここに留まりますか? それは、何のためですか?

いくら今探しに出かけても、その新しい物語が自分のものであるかどうかわからない。
パラレルワールド」は、「今ここ」と「他のどこか」だけではなくまだ他にもあるかもしれない。
ナオミとアニー、そして僕はそれを探しに行くのか、それとも留まるのか?
彼らのその選択の姿もまたひとつの読み所だ。

またこんな文章もあった。「不完全だからこそ完全」
「結末がないからこそ不完全でもあるし、だからこそ全ての可能性を残している」
幾千、幾万ものパラレルワールドがおそらく今までにも存在したはずだし、
これからも存在する。その全ては不完全であり、だからこそ完全に我が人生だとも
いえるのかもしれない。

この小説、終わり方はたぶん読者ひとりひとりがいろんな読み方ができるんだろう。
まったくもってハッピーエンドではないどころか、よくわからないマジカルエンドだ。
けれど、だからこその小説らしい小説だ。自分のパラレルワールドとともに、この小説の
登場人物たちの「その後」を読者ひとりひとりが「想像することができる」のだから。

おまけに。解説では村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』との
共鳴点について触れられていた。確かに、この小説(他の彼の小説を読んだことがない)には
村上春樹に通じる世界がある気がする。村上春樹がサバサバとしたクールさを感じるけれど、
伊藤たかみの世界はもっと日本的な粘り気の強い人間関係を読んでいてイメージする。
ただ、是非他の作品も読んでみたいと村上春樹ファンとしても思っている。