声なき人々の声を語るには?〜福岡アジア文化賞市民セミナー

 午後から福岡アジア文化賞の市民フォーラムを聞きに行きました。学術研究賞を受賞した、コルカタ社会科学研究センターのパルタ・チャタジー教授によるセミナー「声なき人々の歴史を語る」で、イムズホールで行われたものです。セミナーは、竹中千春立教大学法学部教授との対談形式で行われました。竹中さんは、チャタジーさんも参加している『サバルタンの歴史―インド史の脱構築』の翻訳者ですね*1

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 上記の本を見てもわかるように、チャタジーさんはいわゆる「サバルタン・スタディーズ」のメンバーのひとりでもあり、グラムシサバルタンをインドの現状に援用して、「声なき人々」の声をどのように歴史において語っていくか?という(タイトルそのままですけど)研究をしてきた方です。サバルタンといえば、日本ではスピヴァクさんがたくさん紹介されていますが、チャタジーさんも彼女とともに、こうした問題に取り組んできました。僕は特にポスト・コロニアルだとかサバルタンだとか詳しいわけではないので、ざっと関係する本を斜め読みしてセミナーにいったのですが、冒頭で竹中さんが10分程度、チャタジーさんを紹介するなかでそれらもまた的確に紹介されたのでよりクリアになりました。うーん、あの紹介はよくわかるものだったなぁ。

 さて、内容はチャタジーさんが学生時代に政治や歴史について学ぶなかで、その60年代にインドの都市部で顕在化していた都市部にあふれ、開発や産業発展から取り残される貧困層の様子を目にし、「歴史を学ぶことは、『お祝いの歴史』を学ぶことだ」と考えたというところからスタートしました。いわゆる大英帝国からの独立を勝ち取る雄々しい歴史がそれであり、またそれは自由を求める闘争の歴史でもあったものでした。しかし、チャタジーさんが目にする現状はその「お祝いの歴史」とはかけ離れたものでした。そうした疑問から研究がスタートしたのだと言います。

 歴史はエリートによって語られているもので民衆の感覚とは異なっている。中流階級以上の人たちの声しか載らない新聞に代表されるような、いわゆる「記録された歴史」がそれであり、そこからの転換が必要であり、ではサバルタンとされる人たちの声をどこで得られ、掘り起こしていくことができるのか?ということを考えたのだと続けます。インド北部での民衆のデモ隊と警察の衝突が後年の歴史においてどのように語られてきたか?という具体的な話を踏まえて、記録された歴史だけではなく、口頭で伝承された歴史もまた同じように危険性があることもあわせて、そのなかでひとつひとつ丁寧に歴史を紐解いていく必要があるのです。

 また中流階級以上の人たちとサバルタン貧困層、それぞれの政治や政府との関係性の違いについて、前者は裁判だとかコネクションなどを利用して自らの意思を述べることができるが、後者はそれが難しく、できるのはクレームを付け、デモなど行動に起こす他ありません。例えば、貧しい人たちは無料の病院が欲しいと思っても政治に参加する手段がないのです。だからこそ、民主的な制度が必要となります。インドでは最貧層が最も政治に参加するという特徴があると、チャタジーさんは言います。中流階級以上は逆にノンポリを気取るのです。これは日本など先進国にも通じるところがあるかもしれません。

 その後、竹中さんとの応答、会場からの2つほどの質問で終わりましたが、内容としてはそれほど目新しいものがあったわけではなかったかもしれません。ついでに同時通訳がグダグダでした。チャタジーさんが非常にわかりやすい英語を話していたこともあって、僕ですら通訳を聞くより、英語を聞いた方が楽なくらい。確かにこうした話はある程度話が分かっていないと通訳は辛いわけですが、それにしても…という感じでした。それが残念。

 個人的には、NGOに関わっているとやはり「途上国の人の声を代弁する」だとか「日本の市民を代表しているのだ」などと軽々しく使う傾向のある人たちが結構いて、困ったなぁとか思っているのですが、改めてそうした思いを強くします。もちろん、例えば先日ニュースでも報じられていた、インドネシアのコトパンジャンダムを巡る裁判などで現地の人たちがインタビューに応じていましたが、あのような日本のODAによってもたらされた問題に対して「現地の声」を届けなければいけない、という思いをNGOは強く思います。ただその一方で、その「現地の声」が僕らNGOによって改変されているのではないか?とやはり強く意識していなければならないのだと思うのです。必要以上に現地の人たちを被害者にし過ぎてはいないか、と。

 政策提言活動を行う上でよく思うのは、「被害者の声」を「代弁」するのではなく、改めて自分たちの問題として僕たちが自分たちの政府など関係団体に声を届けなければならないと言うことです。それは紛れもない僕たち自身の考え、気持ちであり、「代弁」ではありません。その考えや思いを作った物が「現場」や「被害者」の声であったとしても、口に出したもの、文字にしたものは僕たち自身のものでなければならないのです。

 さて、このセミナー、今月初めには定員で締め切られたという報告があがっていたので、400人はすごいなぁと思っていたのですが、行ってみると自民党総裁選記者会見と同じくらいの空席が目立つ会場でした。しかも年配者が非常に多くて若い人がすごく少ない。もったいないなぁと思いながら、たまたま会場にきていたOさん夫妻とともに参加した、これが記録です。久々の長いエントリーでした。

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*1:この本はもう絶版なのか、すごい値段がamazonではついていますね。僕のも高く売れるかしらん…笑