天寿を全う

 友だちの家に犬がいると羨ましかった。アニメやドラマで飼っている犬と戯れているシーンに憧れた。いや、今でも羨ましいし、憧れるところがある。ただ現実問題として、今住んでいる部屋で犬を飼うというのはあまりイメージできないし、第一、ここは犬とか猫といったペットを飼うことはダメだ(のはずだ…けど、ときどきエレベーターの中で遭遇するが)。けれど、僕が大学に入った年の暮れに実家に犬がやってきた。電話で親から、仕事先で拾った生まれたばかりの小犬を飼うことにしたという連絡を受けて「ズルい!」と思った。だって、僕は年に2回程度しか実家に帰らないのだから。

 じゅうべえ。その名前は江戸時代の剣豪、柳生十兵衛から名付けられた。間違いなく父親の命名のはずだ。約1ヶ月後、年末年始に帰省したときに初めて顔を合わせた。「誰彼となく吠える」と言われた、じゅうべえは僕と相対して一切吠えなかった。すぐさまジーパンの裾をクンクンと匂いをかいで、体を寄せ付けてきた。すでに実家の一員となった彼は僕もまた「家族」であることを一目見てわかったのだろうと思うと、なんだかすごく感動的だった。「つながり」というのはおそらく言葉では表せない何かしら「雰囲気」なのだろう。

 基本的にお盆と年末年始にしか顔を合わせない関係。けれど「いちばん末っ子」な彼は僕にとって(たぶん家族全員にとっても)可愛い存在で、犬なのに猫かわいがりに近いものがあった。おやつをたくさんあげるし、いつも行かないルートで散歩に行く。「あんたが帰ったあと、あれくれ、これせえと大変だ」と言われた。でも、まぁこれは仕方ない。可愛い存在なのだから。夏の帰省時は、じゅうべえの小屋の隣にイスを持ち出して、僕の読書に付き合ってもらっていた(まぁ彼はずっと寝ているだけだけど)。

 水が苦手で、遠くの打ち上げ花火にびびり、救急車の音にはハモるじゅうべえ。数年前に他の犬に散歩中に背中をケガさせられたのに無事に回復し、片脚を引きずりながらも散歩の時はグイグイと引っ張って歩く彼。もちろん、家族の中の序列では僕は彼の下に位置していたはず(笑)。年に数日のつきあいでは仕方がない。ちなみにじゅうべえは、なんていう犬種か、今の今までわからない。日本の犬ではあるのだろうけれど。まぁ、犬種はなんであれ、じゅうべえだ。

 じゅうべえ、今日の午後4時半過ぎに永眠。

 父親から夕方に連絡をもらった。畑の柿の木の下に埋葬したと。1週間くらい前からロクに歩けないようになり、食事もできなくなって、今朝はクーンクーンとないていたそうだ。少し目を離した隙に息をひきとったのは、じゅうべえの優しさかもしれない。

 16年。正確には15年と半年か。人に換算すると、78歳くらいだそうだ。そう思うと、天寿を全うしたのだなぁと思う。僕の実家での彼の一生は幸せだっただろうか。僕らにとっては大切な家族だった。その愛情は彼も受け取ってくれているはずだ。

 じゅうべえ、また数十年後に逢おう。やすらかに。