90年

 毎週火曜日は1限目から授業がある。大学まで1時間強かかって車を走らせるのだけど、相変わらず超早起きだ。陽が昇るのが遅くなってきていて家を出るときも薄暗く、なんだか不思議な感じがする。

 この火曜日も同じように車を走らせていると、高速道路に乗るちょっと前にメールが届いた。信号で止まったところで内容を確認した。父方の祖父が月曜の夜遅くに亡くなったという知らせだった。とりあえず高速にのってサービスエリアで車を止めて実家に電話をした。写真のような新しい1日がはじまったばかりの時間だった。

 祖父は、隣県の父親の実家で生活している。そのため僕はかつてはお盆と正月に会う程度しかなかったけれど、長男である父親の息子である僕は初孫であるからだろう、言葉や仕草の端々に可愛がってもらっていたという思いがある。もちろん、共に住んでいる父親の弟の孫=従姉妹と長くいるから繋がりも何もかもそちらの方が強いだろうことは間違いないのだけど、それでもいつも笑顔でニコニコと接してくれた。近親者とのコミュニケーションが今ひとつ得意ではない僕は、祖父の思いにちゃんと答えられていたかどうかといわれると申し訳ない気持ちになる。

 父親から聞く祖父はとても真面目で厳格な人だという印象だ。戦後間もなく誕生した父親をはじめとして3人の息子を祖母と共に育て、全員を国立大学へと入れた。時代背景もあるのだろうが、僕から見ると3人ともみんな真面目にまっすぐ育って社会に出て家族を持った。その生き方は多少不器用であるかもしれないけれど、祖父の生き方が3人にも現れているように思う。お盆や正月に4人が集まっていると、よく似た親子だなぁといつも思う。父親から聞く厳格な祖父は、「父親」としての責任であった。一方で、孫である僕たちの前では、祖父はまさに「祖父」の優しさと暖かさを持った笑顔を見せたが、それは、長年の「父親」の責任の裏返しであったのだろう。

 葬儀の場に飾られていた祖父の写真はいつもの優しい笑顔だった。そこで紹介される祖父の生涯は特に特筆するようなことはない。けれど、だからこそ祖父の生涯は素敵だったのだと思う。祖母や3人の息子とその家族とともに、真面目に優しく向かい合い生き、文字通り眠るかのように静かに90年の生涯を終えた祖父はとても格好いい。大人数ではないけれど、家族や親類、友人、元職場の同僚、そして地域の人たちが集まり声を掛け合い、静かに祖父を振り返るという時間であった葬儀をしてもらえる祖父の生涯は平凡かもしれないけれど充実したものだったのだと思う。それはとても、とても羨ましいことだし、そういう祖父を誇りに思える。

 90年。お疲れさまでした。そしてありがとうございました。また数十年後に会える日を楽しみにしています。