風邪でギシギシ、社会運動にギシギシ

どうやら風邪を引いてるらしい…と思ったのが先週半ば。いや、正確にはその兆候はずいぶん前からあったのだけれど、「風邪なんて引いてないやい」という思い込みによってスルーするつもりが、身体の方が「もう無理ッス」と悲鳴を上げて来始めたのだ。木曜日の2本目の授業中に少しフラフラしていて、けど3本目まで乗り切り、翌日の授業準備を帰ってからすませて速攻就寝。翌金曜日1本目の授業を乗り切ったと思ったら、少し熱っぽく、関節がギシギシと痛みだす。「参ったなぁ」と思いつつも、事務的な仕事をしたりしながらごまかして、夜の最後の授業でとにかく90分間喋り倒して30分くらい学生の相談に乗ってギリギリと痛む関節をごまかしごまかし帰宅。とにかく夕飯を食べて寝ることに。土曜日昼過ぎまで爆睡後、近所のドラッグストアで風邪薬を買い込み飲んでまた寝る。転がる。夜、なんとか体制の立て直しに成功…かな?今日日曜日はとりあえず先週前半ぐらいまで持ち直したように思う。んー、完全に治しに行くべきなんだけど、授業準備が……。とりあえずパソコンの前に座りつつ、作業をしています。はい。今年度はこうして過ぎるんだろうな。某研究費の申請も結局書けずじまいだし。来年はきっと……。

今さらながら、先月の『論座』11月号に掲載されていた、小熊英二氏の論説「戦後日本の社会運動〜歴史と現在:プレカリアート運動はどう位置づけられるか」を読んだ。

「現在起きている日本のプレカリアート(不安定な労働者)運動を歴史的にどう位置づけるか。それを考えるため、戦後日本の社会運動の変遷を概説」したもの(p.80)。戦後の社会運動の流れのなかで小熊氏は現在のプレカリアート運動を「一部で言われているほど特別新しいものではなく、70〜80年代の「新しい社会運動」の延長だと思」うと記してる。そして、方法論はもとより、「トータルプランを持っていない」がために、当面「局地的な勝利を目指して地道にやっていくしかない」ことに、「それでいいじゃないか」と氏は書くのだけど、僕もほぼ同じように理解しているし、「それでいい」と思って見てる。「市民」というものが作られていくものであるのなら、その過程かもしれないし、国内の貧富の格差の広がりがこの運動を「新しい社会運動以上」のものへと変えるかもしれない。すごくマイナスな期待かもしれないけれど。

学生たちに国際協力について話しながらいつも出る「日本は恵まれているなあと思います」という決まり切った返事に「うむ〜、これではいかん」と手を変え品を変え話をするのだけど、この思考方法を乗り越えるためには何が必要なのだろうか?といつも思っていることを、この論説を読みながら改めて考えてる日曜日の深夜。脳がギシギシいうだけでまだちゃんと動いてないかもしれないなぁ。おやすみなさい。