一人一音で作り上げる社会

 統一地方選挙が終わりましたね。前後半あわせて友人知人が福岡周辺で数人、立候補していたりしたので、こそっと興味深く見ていました。同時に、「ああ、もうそういう年齢なんだなぁ」と改めて思ったり。当選された友人知人の皆さん、頑張って仕事してください。残念だった皆さん、残念でした。

 ざっと新聞などを見回していると結構立候補者のなかに「NPO理事」だとか「NPO職員」という肩書きを持っている方がいるのを散見します(今回の福岡市議選には妙に陸上自衛隊出身者が多くて、半分以上の区で出てましたね。何かの陰謀かしらん(笑))。友人知人のなかにもそんな肩書きの方がいたり、周りのNPO/NGO関係者の方が何人か出ているのも知っています。僕も大学生時代に政治家/議員というものに多少の関心を持ってはいたのですが、自分がNPO/NGO業界(?)に入ってからは必要以上に関心を持つこともなくなりました。僕のなかでは関係はしているけれども、まったく違う役割を持つものだからということが基本的な認識だからでしょう。

 うまく説明できないのですが、NPO/NGOというのは、ある種一時的な「集団」でこそあれ、結局は一人一人の市民によって成り立ち、それぞれが自らの社会に責任を持ち、一人一人の「知」を用いて変革し、作り上げていく象徴的なものだと基本的には思っています。最近、富士ゼロックスの「知的フィールド」シリーズのCMで下記のようなものがありますが、まさにこれがひとつのイメージです。

 このCMのように、リストの「パガニーニによる大練習曲」第3番嬰ト短調ラ・カンパネッラ」を演奏するときは、必要なピアノのキーを持ち、曲を知るメンバーが集まり演奏をし、ほかの曲のときはまた別のメンバーで演奏をする。ひとつの社会のなかですべてをプロ並みに行うことはできないけれど、それぞれの特性を生かした働きをするというのは近いものがあります。

 政治家/議員はむしろ、鍵盤を与えられなかった人/持っていない人/なくしてしまった人に鍵盤を手に入れる機会を作るという大切な仕事を持っているわけですが、今の日本の社会で活動する彼らの多くは演奏会に参加したい気持ちでいっぱいであり、しかも指揮者として指揮したいという気持ちでいっぱいのようにも見えます。

 改めて僕が意識して取り組みたいことは、一音を持つ一人として曲=社会づくりの一員として役割を果たし、また聞いたことのない曲をみんなで作り上げようとともに考え、練習し、音を奏でることなのだと思っています。そして一緒に曲作りをしたいけれども、一音を与えられていない人がいるとき、また壊れ音が出なくなっているときには、仲間として彼らに音を与えるよう働きかけもまたしなければならない。そのとき、政治家/議員がいなければ難しいわけで、その仕事を果たしてほしい。ちゃんと鍵盤作り職人=行政が鍵盤を作り上げるように仕組みを作り、持たざる人が手に入れる機会を作り上げてほしい。

 今回無事に議員になることができた友人知人には是非ともそうした役割を果たして欲しいし、そのために税金から給料が与えられているのだから意識的であって欲しいと思うのです。大変な仕事ですが、ぜひとも頑張ってください。僕は新しい曲作り、より良い曲作りという、ある種非常に曖昧模糊ともしている作業に取り組みますので。