どの立場からレバノンでの出来事を考えるべきか?

 今日は広島の原爆記念日。混迷のレバノン情勢にようやく「大国」が動き始めたとの知らせ。


レバノン:戦闘停止の安保理決議案で、米仏両国が最終合意
 フランス国連代表部は5日午前(日本時間同日夜)、イスラエル軍イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラとの戦闘停止に向けた安保理決議案で、米仏両国が最終合意に達したと発表した。同日午後3時(日本時間6日午前4時)から安保理の非公式協議を開き、決議案を提示する。各国の同意を得た上で早期の採択を目指す方針だ。
 フランスは、戦闘の即時停止を求めた上でレバノン南部への国際部隊の派遣などを盛り込んだ草案を作成したが、イスラエルを支持する米国は「戦闘の即時停止」という言葉に反対していた。国連外交筋によると「完全な暴力の停止」という表現に変え、ヒズボラに攻撃を受けた際のイスラエルの反撃権を認めることで米国が了承したという。(以下略)
レバノン:戦闘停止の安保理決議案で、米仏両国が最終合意:MSN毎日インタラクティブ

 国際社会で合意できるところはこれくらいであることは911以降の様子を見てもよく分かるけれど、むず痒いのも事実。ここから先に進むためにはどうしても国際的・・・いや世界的な世論が必要になる。実際、レバノンの現状は次の記事にもあるように相変わらず深刻であり、記事のタイトルの通り「空爆で災厄をこうむる」のは「普通の人々」であることを注視しよう。


レバノン空爆で災厄をこうむる普通の人々 現地ルポ
 イスラエル軍によるレバノンの首都ベイルート近郊への空爆が激しさを増している。ベイルートは人口約150万人。地中海に面し、“中東のパリ”とも呼ばれる港町。しかし、容赦ない空爆は、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラとは無関係の地域にも広がり、市民生活を直撃している。一方、ヒズボラ側はイスラエル最大の都市テルアビブへの報復を予告するなど、双方の戦闘は危機的状況になりつつある。4日早朝に空爆されたベイルート北部を走る高速道路の四つの橋は、国連の支援物資輸送の“命綱”だった。イスラエルが保障した「人道支援の回廊(輸送路)」は、ぷっつりと途切れてしまった。
レバノン:空爆で災厄をこうむる普通の人々 現地ルポ:MSN毎日インタラクティブ

 この中でレバノン市民が語る「災厄を被るのは結局、我々のような普通の市民だ」をしっかり受け取らなければならない。