社会学者・鶴見和子さんが死去

 以下、東京新聞より。

社会学者で上智大名誉教授の鶴見和子(つるみ・かずこ)さんが7月31日、死去した。(中略)実弟は哲学者の鶴見俊輔氏。津田英学塾(現・津田塾大)卒。戦後間もなく、俊輔氏や政治学者の丸山真男氏らとともに、雑誌「思想の科学」の創刊に参加した。日本の土着文化を研究し、南方熊楠柳田国男宮本常一民俗学者の仕事を継承、発展させ、西欧の近代化モデルとは異なる「内発的発展論」を提唱。水俣病問題など社会的テーマにも積極的に取り組んだ。著書に「好奇心と日本人」「南方熊楠」など。歌人、日本舞踊の名取としても知られた。

内発的発展論の展開 僕の関心領域で言えば、上にもある「内発的発展論」。西欧型の単線的な経済開発(いわゆる「近代化」)のモデルに代わりうるものとして提唱したのが鶴見さん。彼女は「西欧をモデルとする近代化論がもたらすさまざまな弊害を癒し、あるいは予防するための社会変化の過程」としてこれを論じています。

  いわゆる国際協力や開発援助においても同様の理論の中で考えることもできます。「近代化」が国家を単位とした開発モデルを生み出す一方で、「内発的発展」においては人々の身のまわりの地域を分析単位とし、「地域の人々および集団」を主体としたあり方を考え、実践していくことにあります。もちろん、これがオルタナティブであっても結局のところ「開発」「発展」を目指すものであることで根本的な解決を生み出さないという批判もありますが、それでも80年代終わりから、改めて世界のさまざまな問題を考えるひとつの指針であったのは間違いないでしょう。

 ご冥福をお祈りします。