周縁の思想。

 明日の準備終了。某大にて授業なのだけど、担当の先生が身内の不幸で留守だという。高校までと違って、大学って先生がお休みだったら休講になるはずなのに、生徒さんは残念ながらゲスト講師の日ということでお休みとはならないようだ。事務局の方がお手伝いをしてくださるはずなのだけど、さて果てどうなるか。とりあえず新しいネタをいくつか用意して授業準備完了。新しいネタが少しは入るモノの、絶対的にインプット量が少ないことは明白。インプット量が少ないと必然的にアウトプットは乏しくなり、同じことを繰り返すことになる。これでは余りに進歩がないということは分かっているのだけど、そうそう人間が進歩ばかりするわけにも行かない。「もう講師なんてできません!」ってくらいアウトプットしていくのもひとつの手かも。

 ナマコの眼 そういえば、この間たまたま行った大学の生協で鶴見良行さん(故人)の『ナマコの眼』のちくま学芸文庫版を見つけたので有無を言わさずゲット。今は左写真のハードカバー版か、『鶴見良行著作集〈9〉ナマコ』のどちらかしか新刊は手に入れることができず、リンク先をご覧になってできれば分かる通り、これがまた高い。個人的に鶴見さんの著作集はいつか全部揃えたい!とは思いつつも、学生のみではそれも適わず、「いつか…」と思っていたこの著作集バージョンも手にはとるモノの買えずにいた。たまたま生協で新刊(とは言っても1998年の版なので8年の歳月が過ぎちょっと色は変わり、背表紙も破れ気味。でも嬉しかった。少しずつ、鶴見節をインプット中。ちなみに、鶴見ファンには書くまでもないですが、「ナマコの眼」のナマコは「辺境」や「周縁」を指してます。ああ、手には入ってすごく嬉しい。大事に大事に読もう。

 「へんな会社」のつくり方 あと最近は、「はてな」を使うことになったことだし、と近藤淳也はてな」社長の『「へんな会社」のつくり方』もパラパラ。この人、面白い人だ。一番最初に書いてある次の文章にちょっと共感したので引用。

 僕はなぜか、「世の中は、誰かが適当に作った、とんでもなく“でたらめな仕組み”で動いている」という世界観を持っています。「世の中は、遠い過去からこれまで人類の英知が作り上げてきた精巧な仕組みで動いていて、現時点での最適解になっている」などとは到底思えないのです。」(p.10)

 まぁ、「でたらめな仕組み」というのは確かにそう。時代時代の特定の人たちや階級によってその場その場で作られは壊されていく世の中。そして割を食う人たちはたくさんいる。割を食う方に回らないのではなく、割を食いながら、少しずつ自ら良くしていくような人間でいたい。