カレーパンを伝えたインド人〜中村岳志『中村屋のボース』

nakamurayanobosu.jpg しばらくぶりの更新です。エントリーしようしようと思いながらできていないものがずらりと並んでいますが、えらく忙しい日が続いていて、あまり精神的にも余裕がない感じの毎日です。だからか、ここのところただでさえボンビーな生活を送っているくせに、本や雑誌を山のように買ってきてしまいます。そして「つん読」状態にそれらは置かれ、また新たな本が積み重なる・・・毎日。これじゃいかんなぁと精神的荒廃を起こさないように読書するのですが、リズムはまだまだです。

 と、ようやく上の画像の本。中島岳志さんの『中村屋のボース:インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)のこと。読み終わったのは3週間くらい前で、ようやくここに。 この本、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞のダブル受賞で話題になってますが、この賞を取る前に本は買ってたんです!(とここに書いておきたかった・・・笑)

 このフィクション。1900年代初頭の過激なインド独立運動指導者であるラース・ビハーリ・ボースの一生を描いたもので、日本に亡命して来てから、日本のアジア主義者とのつながりの中で、活発な活動を実際にも、また論壇の中でも繰り返してきた様子を描くことで、彼の周りの日本社会の状況を炙り出しています。頭山満をはじめとする当時のアジア主義者とのかかわりのなかで、見えてくる右傾化のひとつの姿が読みごたえがあります。

 一方で、タイトルにもある『中村屋』はインドカレーの日本での発祥の地。官憲の目を逃れてボースが潜伏していたのが、この中村屋で、今でも僕たちはこのボースのカレーに大きな影響を受けているわけです。(そういえば、僕も読み終わった翌日、近所のスーパーでレトルトの中村屋カレーを買ってきて食べましたね。笑)

 個人的に面白かったのは、愛国主義なるものが結局、論理的なものではなく、非常に感情論的なるものであることが明確にされているところです。もちろん政府の側からそうした姿勢を生み出したいとき、論理的・・・いや作戦的にそうした仕組みを生み出すことはあるわけですが、それらを心から支持する場合、それはもはや感情論的なるものに過ぎないのだなぁということを改めて思います。たとえば、「「イギリスによるインド支配を打倒すべき」と主張する日本のアジア主義者たちが、一方において中国に対する紛うことなき帝国主義者の顔を有している点を、彼は果敢に指摘した」りします(p.176)。そして、「インドを支配するイギリス人たちと日本のアジア主義者たちが「同じ穴の狢」であることを鋭く突きつけ、彼らの論理を内側から突き崩そうと」するわけです(p.177)。そういうボース自身もまた同じような袋小路に陥り、インド独立運動の仲間からはぶられていくわけですが、「愛国主義」の重要な一面を見たような気がします。

 堅苦しいことを書いていますが、読み物としてもなかなかの力作で、グイグイと引き込まれていきます。梅雨に入り、外に出るのも億劫なとき、是非手にとってみてください。ちなみに作者は僕より年下。もうこの年になるとだからどうだって気もしないわけですが、この作品の裏にあるひたむきな努力に感銘を受けるとともに、これだけ熱中することができるものが見つかっている研究者に羨望のまなざしです。はい。